“からむし織りの里”の又一さん

本宮和彦

 今から3年ほど前の暑い夏の朝・・・

 その日は珍しく、夜も明けきらぬうちに車止めに到着。そんな自分をあざ笑うかのように一台の4WD。 「あぁ、きっと釣りなんだろうな」仕方なくあきらめのまま通いなれた幾つかの沢への思考を巡らせる。「いいや。また何時ものあのおじさんに会えれば」・・・そう思いいつもの山へ向かいながら・・・

 初めてその”又一”さんに会ったのは何時かは覚えていない。でもその第一印象は強烈にしてやわらかく険しい渓への自分をいつも優しく見守ってくれた。
 「どっからきなすった?」
 「なんだよ!また忘れちったの!」
の繰り返しでもいつか打ち解ける関係にいつの間にか釣果を気にしない自分がいた。
 「今日のエサはバッタがええぞ」
今からいそいそと出掛けようとしている私に、愛犬を連れた又一さんが声を掛ける。
 「今から取っからちょっと待っておくらっせ」
そう云って草むらへ愛犬をおいて入って行く。ちょっと気後れした自分も奮い立たせるように草むらを追いかける。その日の釣果は芳しいものではなかった。でも充実した自分が釣果を気にはしていなかった。

 「山は人が入んねぇとダメだ」
 村の役人はやれ”入山券だ”やれ”商売だ”と云うらしい。 過疎化の一途を辿るこの大沼郡昭和村。確かに役人の云うことは過密・過疎に関わらず何処も画一的である。
 「この山が生きていることがうれしいんだ」 と云うその言葉には嘘偽りはないだろう。

 「あそこに見える赤松が見えるが?」
 そう云われて見上げた私のピントの合わなかった視線の先に見えた赤松の根元に息を切らせながら着いたのはもう日が傾きかけた秋の日暮れだった。 「!!!!これってマツタケ!!??」 その一本を掴むのももどかしく、周りには私が土産物屋でしか見たことがない土瓶蒸しのキノコがその地よりむきだしになっていた。その日、本宮家の食卓は筆舌に尽くしがたいメニューを今だ語り草になっている。

 この山を生まれたときから見続けた又一さん。ここ何年かを訪れた自分を覚えるにはまだ何年も後のことだろう。そんな又一さんに昨年は会えなかった。心配になりふと訪れたその日は若松から息子さんが帰って来ていた。
 「釣りかい?エサはイワナの目玉がいいぞ」
 イワナの目玉がエサになる話など聞いたことがない。まして釣ってもいないイワナの目玉をエサにするなんて・・・ そんなとき私のことを知ってか知らずか「うちのおやじも長いことはねぇから」その言葉を聞いたときにぞっとした。
 この山が静かなのもすべて又一さんのおかげ。この沢でイワナが釣れるのも又一さんのおかげ。そう思っていた自分が一番恐れていた言葉なのかも知れない。

 今年も又一さんに会いに行こうと思う。また何時ものように忘れてしまっているかも知れない。
でも、でもそこに居てくれさえすればそれでいい。元気で居てくれさえすればそれでいい。
 
(ほんぐう かずひこ)
 
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