釣りも勝負のうち

瀬 畑  雄 三
 
 少年の頃から釣りが好きで、暇があったりすると生家の脇を流れる川に立つことが多かった。子どもの釣りのことだから、専らフナやハヤ、オイカワといった類の魚を対象としてそれなりの釣りの面白さ、愉しさを子供心に味わって育った。
 釣れる日もあったり、釣れぬ日もあったりしたけれど不思議なことに飽きることがなく学校の休みの日には必ず、何らかのかたちで川とかゝわりを以って暮らした。
 チョロ虫(ヒラタカゲロウ)、ジャジャ虫(トビケラ)等で釣る春の瀬釣りが最も得意の釣りで、たかだか十一、二歳の釣りにしては我ながら余すところのない考えをもっていた。 チョロ虫などの餌の採り方にしても、大の大人たちが舌を巻くような方法で採ったりして、驚かせたことも繁くあったりした。

 こうした少年期の言わば、たわいもない釣りではあったが、今になって思えばこの頃の釣りが私の渓流釣り、それも「テンカラ」に大きな役割を果たし、参考になったのは言うまでもない。すべてのことに通じることだが、物事には道理があるように、釣りといえども考えを基として"釣り(こと)"を行うのが常道で、相手を知ることが勝負ではないが、勝負に勝つ秘訣のような気がする。おゝまかに言って、相手があって何らかのかたちで対峙するのは勝負である。こうした意味合いからも、釣りは暦とした勝敗を決する勝負であると私は思っている。

 勝つか負けるか、釣れるか釣れないか、まさに釣りは勝敗を決する真剣勝負であろうと日頃から私の頭の中にある。 勝負になれば「孫子の兵法」にもあるように、相手の手の内を"知る"ことが、相手に勝つ最大の兵法である。言わずもがな、イワナ・ヤマメの習性をば善く善く考え、観察し、徹底的に研究し、「相手を知り尽くすは勝ちの因なり」往昔今来。昔も今も孫子ならずとも戦国の世の武将、智将の格言とするところで、肝に銘じておくのもあながち損にはなるまい。

 余談になるが、「テンカラ」にせよ「餌釣り」にせよ、何ら意にするところは同じであって、少しも異なるところがない。第一、イワナ・ヤマメは水の中、それも流れの中に棲息しているのである。これは釣りの上で大きな意味を持っている。まして渓流には強い流れと弱い流れが複雑な流れをかたちづくり、それも浅場と深場では微妙に水勢もが違い、ことさらに渓魚達が容易にエサを口にすることが、我々釣り手側が考えているほど楽ではない筈である。過酷な環境の場に生き存えるには、彼らなりの生きる術は身に付けている筈でもある。彼らイワナ・ヤマメたちの世界、水の中の世界をもう一遍、考えを新たにし試行錯誤するのも無駄ではなく、これからの釣りを面白くもするし、愉しくもする大きな要素となり得ると私はそう信じている。


1997/4/1発行 『宇都宮渓遊会 会報』より


 
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